monologue

しる・す【記す/▽誌す/▽識す】
[動サ五(四)]
1 文字や文章などを書きつける。書きとめる。記録する。「氏名を―・す」「感想を―・す」
2 記憶にしっかりとどめる。忘れないようによく覚えておく。「今日の喜びを胸に―・す」

はじめに

今日は2026年の6月12日、サイトを開設した。本当は4月くらいからドメインだけ買っていたけれど、今日やっと手を付けられて、人様に見せられるようなものにしようと動けた。本当に良かった。

このWebサイトは、私の人生の記録として、或いはポートフォリオ/私を知ってもらう媒体として、ある。

この場所は、何かをふと残したくなった時に書き記す場所にしようと思う。

散歩

毎日、何かしらの発見がある。それは外にいてどこかへ行くときだって、家にいてスマホをスクロールしているときだって、場所とか時間とかあんまり関係なしに起こる。
最近気が付いたのだが、私がなにか発見したときは「へー」と心の中で声が出ていることが多い。多分その言葉のあとにはいつも、字幕で発言が補われるように「へー(おもしろい)」ってなっている気がする。世界はたぶんおもしろいのである。些細な事ばかりだけれども。

1年前、とある方に「設計は散歩だよ」と言われたことをよく覚えている。
そして今日(6月14日)、建築関係でまた別の方からの話を伺っている途中で、その方も同じようなことを言っていてびっくりした。「散歩」を自分の設計の比喩に用いていたのだ。
何かを見つける。面白いかもしれないから、そのことを忘れないでおく。また別の方へ進む。何かを見つける。面白いかもしれないから心にとっておく、またどこかへ進む、、を繰り返す。そして最後にはそれら発見したことが積みあがったり一つに集まったりして、何かとして出てくる建築。へー。笑

「散歩派」とでも呼べるような思想が、今後通底していく予感がする。
ものを作るときのプロセス全体を俯瞰し、

fresh, Raw

2026年6月19日。このあいだ藤野研のゼミに見学に来た某大学(外部)の学生が持ってきた作品のポートフォリオを、藤野先生やゼミにいた研究室の人たちと見た。面白かった。
紙質までこだわっているであろう製本されたポートフォリオをペラペラめくれば、作者の彼がいろいろ説明してくれた。
「岩」とか「葉」とかそういう比喩が用いられながら、「環境」「自然」という言葉をフックにして形態やその建築でやっていることを説明している。でもできているものを見れば、洗練されたフォルムの無機質な図面や模型写真が載っていた。

思わず出身を聞いてしまった。絶対に東京だろう、と思ったらまさしくそうだった。「やっぱりね」などと言ってしまった。ちょっと驚かれた。

毎回のゼミごとに進学希望の見学者が2人くらい来るのだが、そのたびにその人が作っているポートフォリオを見せてもらったりして、その人がどんなものを見ていて、どんなことを考えているのか、どんな人なのかを知る。正直言えば、8月末にある大学院入試のライバルになるので、内部生としてはゼミに見学が来るたびに警戒したりドキドキしたりするのだが、同時に、自分を相対化するよいきっかけにもなっている。

「井の中の蛙大海を知らず」ということわざがそのたびに頭をよぎる。
東北大の建築はきっと「井」だ。人数がまずそんなにいない。東京とかすごい人数がいる。「海」である。見学に来た彼と同じ大学から東北大に来た先輩が「海から井の中へ来た」と話していたのを覚えている。この前の彼のポートフォリオも、井にいる自分と比べて相対的に自分を考えることになった。彼も私の「東京だね、」という発言に引っかかったらしく、ゼミ終わりにお互いに考えていることや大学のこと、それから院試勉強のことなんかを2時間くらい話してしまった。その日が初対面なのに。

自然と呼ばれるなにかよって、命が脅かされている感覚。それが私にはあるのだと、認識した。地元の札幌は冬や雪のせいでよく人が死ぬ。実家の近くでヒグマがよく出る。今暮らしている仙台も熊の目撃情報を頻繁に聞く。自然はそこに迫ってくる。肉薄してくる。生の残酷で新鮮なものが人間に迫ってくる。
それに対して、東京は(主語デカ笑)、あと南や西に行けば行くほど、自然は愛でるものだったり、能動的に獲得しようとしなければ人間と接続されないものであることが多い。だからすごく、自然について言葉だったり観念だったりに漂白されていている感じがする。生で残酷な自然が、洗練されたフレッシュで綺麗なものに昇華されて、建築だったりほかのものだったりとして立ち並んでいる、そんな感覚。

田舎者が斜に構えすぎだと言われればそれまでだが、